娘が宿っている母親の肉体を犯し
そして今、その娘をマゾ奴隷として調教しているのです。
*あるマゾ女性がこの告白手記を朗読してくださいました。近日公開します。

母親は清純なマゾヒスト
景子の母親の陽子と知り合ったのは、私が23歳のときですから、もう二十年になります。
その頃の私は定まった職も目標もなく、将来に対する漠然とした不安の中で日々を過ごしていました。
今と違ってフリーターという便利な言葉もなく、世間からは何かと胡散臭い目で見られているのを自覚していました。
もちろん恋人などと呼べる女性はいませんでした。
学生時代の友人にも、自分の境遇を考えると連絡を取る気にはなれなかったのです。
甘ったれた言い訳になりますが、私は十分に孤独でした。
田舎に帰ることも考えたこともあります。
しかし乏しい家計の中から大学まで出してくれた母親を思うと脱落者のままで帰郷してしまうのは耐えられないことでした。
母親には、ある国家試験のための受験勉強をしているとの口実をこしられていました。
確かにその試験のための勉強は続けていましたが、私には手の届かない向いていない試験であることはわかっていました。
母親の悲しみをできるだけ先に延ばすための口実でした。
陽子に初めて逢ったのは、図書館でした。
私は学生時代から図書館がいちばん落ち着く場所でした。
自分の部屋は駄目なのです。
不安が押し寄せてくるのです。
メランコリックとかブルーになるというのは、まだ甘酸っぱい情緒が入り込む隙間があるとおもいます。
私が襲われるのは絶望なのです。
ブルーが深くなると限りなくブラックに近くなります。
私が自分の部屋で包まれていたのはブラックでした。
ボブ・ディランに『ブルーにこんがらがって』という歌がありますが、その頃の私はブラックに押しつぶされそうになっていたのです。
はけ口のない暗いエネルギーが爆発しそうになっていました。
もし陽子に出会っていなければ私は犯罪者になっていたかもしれません。
陽子が人妻であることは、左手の薬指にしていた指輪でわかりました。
ひっそりとしたひなげしの花を思わせる女性でした。
私は週に五回は図書館に通っていました。
そのうち二回は陽子を見かけることができました。
さりげなく気づかれぬように陽子の後ろ姿を追いかけていました。
ほっそりとしたからだつき、思い切り抱きしめれば折れてしまいそうな、華奢なウエストをしていました。
それでいて腰にはまろやかな肉がついていました。
足首はキュッと音がしそうに引き締まっていたのです。
身体のたたずまいを眺めているだけで、こころの繊細さが伝わってきました。
顔立ちには少女の面影が残っていました。
黒い瞳がキラキラしていました。
小鳥のような唇に淡いフー樹がひかれていました。
書棚を見つめる横顔の白さに、私は心を奪われました。
いつまでも眺めていたくなる美しさだったのです。
言葉をかけたくなります。
しかし、陽子と私の間にある隙間を自然に埋めてくれる言葉は、どこを探しても見つけることはできませんでした。
「よろしかったら、お茶でもいかがですか……」
「少しお話させていただけませんか……」
そんな、さりげない誘いの言葉をその頃の私は口にすることができない人間でした。
自分でも悲しくなるほどに口下手でした。
今の私を知る人には信じられないことかもしれませんが、まぎれもない事実です。
暗さを繊細さと勘違いし、いつか自分の真実をわかってくれる人が現れると甘えていたのです。
この年になってわかりました。
欲しいものはハッキリと声に出して欲しいと言わなければ、手に入れることはできないのです。
私には言葉はありませんでしたが、勇気はありました。
それは抑えきれない衝動と呼んだほうが正確かもしれません。
陽子は私の存在に気がついていました。
視線が合うことは何度もありました。
そのときの私の印象を陽子に聞いたことがあります。
(不気味な感じはしなかったかい……)と。
陽子は(暗い人だとは思ったけれど、恐いとか不気味な感じはしなかった)と答えてくれました。
図書館から連れ去った少女
昼下がりでした。
陽子が入ってくるのを確かめました。
ほとんど人影はありませんでした。
開架式の書棚なひっそりと静まっていました。
私には陽子がどのような順序で書棚をまわるかわかっていました。
私は美術書が集められている棚の前で陽子を待ったのです。
陽子が手に取る画集の名前まで私は知っていました。
その画集を抱えて閲覧室に向かうのです。
うっとりした溜め息をもらしながら、陽子はその画集を眺めるのです。
『ルノアール』の画集でした。
私はどきどきしながら陽子を待ちました。
もし私がいることでいつもの順序を変えるなら、そのときはきっぱりと陽子をあきらめる覚悟はできていました。
陽子は私が立っている場所に近づいてきました。
すいませんと私に会釈して、ルノアールの画集に手を伸ばしました。
私はその機会を逃しませんでした。
右の手首をつかみ、陽子の顔を私の方へ向かせました。
一瞬、陽子は驚きの表情を浮かべました。
私はためらいませんでした。
陽子の小鳥のような唇を奪いました。
柔らかい唇でした。
突然のことに、陽子は唇を閉じることを忘れていたようです。
すんなりと舌を差し入れることができました。
私は陽子の舌に舌をからませました。
うっすらと愛らしい舌触りでした。
せつなさを感じました。
陽子は無意識のうちに私の舌の動きに応えていたのです。
横のからだから力が抜けていくのを感じました。
私はしっかりと陽子のからだを抱き締めました。
なぜだか私は陽子に、「僕もルノアールが好きなんです」と囁いていました。
私のものははちきれそうに大きくなっていました。
外に連れ出さなければ、どこか二人きりになれるところに行かなければ……。
私はそのことだけを考えていました。
陽子の唇を吸うだけでは我慢できなくなっていたのです。
それまで、私は女性と親密につきあったことはありませんでした。
接吻もそのときが初めてだったのです。
それにも関わらず、不安はりませんでした。
陽子は私にすべてを委ねてくれていました。
それは私の思い過ごしだったのかもしれません。
しかし、陽子の白い顔は薔薇色に火照っていました。
眼差しにも欲情の色が浮かんでいたのです。
「すこし僕につきあっていただけますか」
私は陽子の手を引いて、図書館を出ました。
大きな通りに出て、タクシーを停めました。
運転手さんには、いちばん近いターミナルの駅の名を言いました。
頭の中で所持金とタクシー代、ホテル代の釣り合いを考えました。
私はホテルの休憩料金がどれほどのものなのか想像がつきませんでした。
所持金は8千円くらいしかなったと思います。
二十年前の8千円です。
四日間働いた給料の全部でした。
まあまあ安心できる金額でした。
タクシーの中でも、陽子の手を放しませんでした。
しっかりと握りしめていました。
細い指でした。
女性の指はこんなにも華奢なものなのかと、私は驚きを感じていました。
陽子の指を私のズボンのファスナーのあたりに置きました。
てのひらを開かせました。
そして硬くなっているのが、よくわかるように押し付けたのです。
陽子は目を閉じていました。
白い歯で唇を噛み締め、恥ずかしさと欲情をこらえていたのです。
私は大胆になっていました。
陽子の白いスカートの中に手を忍び込ませました。
じかに太腿のすべすべとした肌が触れました。
陽子は太腿に力をこめ、からだを小さくしました。
結果として、太腿以外はスキだからけになったのです。
私は陽子の脇腹に手を回しました。
抱きかかえるようにしたのです。
てのひらを上下にするだけで、陽子が困ってしまうのがわかりました。
運転手さんには気づかれたかもしれません。
ミラー越しに視線を感じました。
陽子は私の腕の中で、濡れた魚のように身をくねらせたのです。
声にならない呻きがてのひらに伝わっていました。
陽子は下を向いたままでした。
しかし、私の怒張を感じているてのひらは微かに少しずつ動いていました。
そのてのひらの動きは、陽子の顔立ちからは想像できないものでした。
恥ずかしさをこらえる横顔は少女の清純さがあふれていました。
長い髪が方で震えていました。
陽子のこころは揺れていました。
自分でも、どうしていいかわからないようでした。
タクシーをおりたとき、陽子は許してくださいと呟いたのです。
私は答える代わりに、陽子の腰を抱きかかえました。
そのまま陽子を歩かせました。
陽子が歩みを止めようとすれば、私はさりげなくてのひらで乳房を揉みました。
思いのほかたっぷりとした乳房でした。
陽子は私に従ったのです。
ホテルに入りました。
私は待ち切れず、エレベーターの中で陽子のスカートを脱がせました。
ブラウスとパンティだけの姿で廊下を歩かせたのです。
白いほっそりとした脚がすらりと伸びていました。
この瞬間に私のからだを流れる淫蕩な血のたぎりを自覚しました。
女性を被虐に落とし込むことでしか鎮められない血のたぎりです。
部屋にたどりつくまでの僅か5メートルあまりの道のりを、陽子は全身で羞じらいを表しながら歩きました。
陽子と私は同じとき、同じ場所で、それぞれマゾとサドの一歩を印したのです。
初めてだったSM
部屋に入りました。
私はすぐにでも陽子の中に押し入りたいと思っていました。
しかし我慢しました。
もっと陽子をいじめたい気持ちのほうが強くなっていたのです。
陽子は肩を震わせ、美しい顔を悲しそうに歪めていました。
私は追い打ちをかけるように命令しました。
「ブラウスをめくりあげて、パンティがよく見えるようにしなさい」
陽子はすがるような目で私を見ました。
これ以上恥ずかしくなるのはつらすぎるようでした。
しかし私は許しませんでした。
「早くセックスしたくてたまらなくなったんだろう……。タクシーの中でさえ、ぼくの☓☓☓をさすってたもんなあ。可愛い顔してるくせに、やることは淫乱女だぜ、のこのこホテルまでついて来るんだものね、断る気になればいつだってできたのにね……。もう、お前がスケベな女だってことはわかってんだから正直になりなさい。さあ早くブラウスをめくりなよ……」
瞳を固く閉じ、唇を噛み締めて陽子は私の命令に従いました。
ぼうっと霞むようなYの字が現れました。
桜の花を思わせるほてり方だったのです。
白い太腿はうすべに色の輝きに染まっていました。
清純さの中で淫らさがあふれていたのです。
パンティーもとることを命じました。
「早くしろよ、お前のからだはもう、僕の☓☓☓を欲しがって、どうしようもなくなってるみたいだぜ……、欲しいんだろ……、なら早くパンティを脱げよ」
「お願いですから、これ以上私をいじめないでください。私をどんなふうにでもおもちゃにしてくださっても構いませんから、そんなつらいことを命令するのはお許しください」
閉じた陽子のまぶたから、涙がこぼれていました。
そのままベッドに倒れ込みました。
私はパンティーを剥ぎました。
脚を大きく広げてやりました。
花びらがヌチャリと濡れた音をたてたのです。
パンティーにもシミが浮き出していました。
私は陽子のお☓☓こを覗き込みました。
花びらを左右に開き、じっくりとたたずまいを観察しあmした。
陽子は泣くのです。
女のいちばん秘密にしなければならない部分を覗かれるのは、陽子のような女にとって何よりも恥ずかしいことでした。
「見ないでください。お願いですから。そんな恥ずかしいところを見るのは許してください……」
ゾクゾクしました。
つい二、三時間前までは憧れることしかできなかった女性が、今は私に許しを乞うているのです。
「ヌルヌルじゃないか……。こんなに濡れてるお☓☓こは見たことがないぜ、顔は本当に女子高生みたいなのに、お☓☓こはグショグショだね……」
私はクリトリスを剥いて、そこに唇を近づけました。
舌先でその部分をくすぐったのです。
陽子は、「ああん」と甘い声を洩らしました。
私は舐め続けました。
おしっこの出口もしっかりと確かめました。
そこにも舌先をそよがせました。
陽子の喘ぎはすすり泣きになっていました。
「もう許してください」と泣いているのに、淫らな陽子の腰は私の舌の動きに合わせて揺れているのです。
小さく縁を描くようにいやらしく腰をくねらすのです。
私は陽子に「お☓☓こしてください」と言わせました。
何度も繰り返させました。
陽子の指で花びらを広げさせ、「ここへ村上さんの☓☓☓をはめてください」とお願いさせたのです。
いやいやをするように、ほっそりとした白い首を振りながら、陽子は何度も繰り返したのです。
そんな陽子を心の底から美しいと思いました。
私のものにしたくなったのです。
人妻奴隷にすべての処理をさせた
陽子の秘密を告白させました。
結婚して二年になること。
旦那は子供欲しがっているのだが、なかなかできないこと。
旦那との夫婦生活では女の歓びを味わったことがないこと。
私に逢って初めてセックスで女の歓びを知ったこと。
廊下でスカートを脱がされたとき、信じられない恥ずかしさとともに妖しい気持ちにもなったこと。
女の部分を見られていると感じたとき、イキそうになったこと。
毎日でも私に逢いたいと思っていること……。
陽子としたセックスが私にとってほとんど初めての経験でした。
しかし陽子の中に押し入りからだを動かせば、それで陽子を悦ばせることができたのです。
何度も何度も陽子は絶頂の悲鳴をあげました。
それを耳にすると、私はますます張り切りました。
発射してもすぐに大きくなるのです。
陽子は発射したのがわかると、私のものをからみつく膣襞で締め付けながら腰をふるのです。
私のものが勢いを吹き返すと、「いやあん」と恥ずかしがりながらも背中に爪をたてました。
突けば突くほどに、陽子のすすり泣きはせつなさを深めていきました。
いつまでもひとつになっていたいと思いました。
陽子も私も最良のセックスパートナーを得たようでした。
後始末は口でさせました。
私の樹液と陽子の愛液で汚れたものを、唇と舌で掃除させたのです。
陽子は何も言われなくても、私のお尻の穴まで舐めました。
舌を尖らせてお尻の穴をえぐるようにしてきれいにしたのです。
蟻の戸渡りに這った陽子の舌と唇の心地よさはたまらないものでした。
ホテルをチェックアウトしたときには、外はもうすっかり夜になっていました。
もう帰らなくちゃいけないという陽子を私のアパートに連れ込みました。
もう一度最初から同じことを繰り返しました。
パンティーを脱ぐように命じ、お☓☓こを覗き、「ハメてください」とお願いさせ、突きまくったのです。
陽子も私もお互いから離れることはできなくなっていました。
私は陽子に毎朝電話をかけることを約束させました。
もちろん陽子の家の電話番号も教えさせました。
私が欲しくなれば、いつでもどんなときでも陽子は来なければならなくなったのです。
陽子とするプレイはすべてが新鮮でした。
どんなにつらい目に、恥ずかしい目にあわせても陽子は慣れることがないのです。
二十年たった今でも、女の部分を私が覗くと、初めてのときと同じような羞じらい方を見せるのです。
心の底からつらく恥ずかしい思いを噛み締めています。
それだからこそ、私も陽子も飽きることなく、二十年もの長い間SとMの関係を続けられたのです。
公衆便所の中で人妻を犯した
最初の一年間はほとんど毎日逢っていました。
陽子と逢うために、私は夜の仕事を見つけました。
ガードマンです。
昼間は陽子と逢い、眠ること以外に何もしませんでした。
その頃、陽子を縛るようになりました。
お尻の穴でセックスもするようになりました。
浣腸も一週間に一度はしていました。
ローソクを陽子の乳房に垂らしながらのセックスも良いものでした。
熱い蝋が白い肌に滴るとき、陽子の表情には切迫したせつんさがこみあがるのです。
私は深く突いてやります。
歓びと熱さの責め苦の中で、陽子は美しくなっていきました。
旦那が勤める会社の近くの公衆便所で陽子を犯したこともあります。
女性用ではなく男性が入ってくるトイレで、お尻の穴とお☓☓この両方にバックからハメてやったのです。
私がトイレの個室に入ると陽子は黙ってドアの中までついてきました。
狭いトイレの中でスカートをめくりあげました。
便器に手を着かせます。
お尻を突き出させます。
公衆便所でするときも陽子は「ハメてください」とお願いしなければならないのです。
自分の手で私のものを握り、女の部分やお尻の穴にあてがわなければらないのです。
私は陽子が感じてしまうように、意地悪く腰を使いました。
人が入ってくる気配を感じました。
でも私はなおさら動きを激しくしました。
陽子は自分の手首を噛んで声を洩らすまいとします。
私は陽子の手首を背中にまわして根本まで入れてやりました。
お尻の穴にハメるときは、普通ではやらないやり方で抜き差しします。
先端から根本まで一息で挿入するのです。
陽子は悲鳴をあげました。
入ってきた男は、もしかしたら旦那かもしれないのです。
その可能性は十分にあります。
それでも陽子は、いったんハメられてしまうと私が発射するまで腰をくねらせつづけるのです。
唇と舌で私のものを始末し終わると、私は陽子に落書きを命じました。
『陽子はご主人様にこのトイレでお尻の穴とお☓☓こを犯されました』と太いマジックペンで書かせたのです。
外で逢うときは、私は陽子にパンティーを着けることを許しませんでした。
できるだけ短いスカートを穿き、その舌は股縄かノーパンというのが私のいつもの命令でした。
バイブを挿入して歩かせることもありました。
そんなとき、陽子は太腿まで愛液でびしょびしょに濡らしてしまうのです。
その状態で、道でスカートをめくりあげさせることもありました。
バイブを挿入したまま、大勢の人が集まる場所で一時間以上も置き去りにすることもありました。
股縄でバイブをしっかりと固定し、じっとしていても容赦なく快感はあふれてしまうようにしておくのです。
陽子は『きおつけ』の姿勢で私が再び現れるのを待つのです。
ときには、いちじく浣腸をおまけすることもあります。
陽子は唇を噛んで耐えるのです。
そうするしかないのです。
私はそんな陽子の様子を人混みに隠れてじっくり観察するのです。
私と陽子の絆はますます深く強くなっていました。
戸籍上は他人の配偶者でも、実質はからだもこころも陽子は私のものでした。
それなのに、陽子の旦那は私との関係にまったく気づいていないようでした。
陽子と結婚する気持ちはありませんでした。
私には陽子を経済的に養う基盤がないということも理由の一つではありました。
陽子はそんなこと関係ない、二人で働けばどうにでもなると言ってくれました。
私にはわかっていたのです。
新鮮な二人のSとMの関係も結婚してしまうと、途端に色褪せてしまうことが。
不倫という盗んだり裏切ったりする背徳が、二人の関係に鮮やかな緊張を保たせてくれていました。
妖しいスリルとサスペンスを味わわせてくれていたのです。
一年が過ぎた頃、陽子は旦那を裏切り続けることに耐えられなくなったのかもしれません。子供も欲しくなったようです。はっきりとは口に出しませんでしたが、父親がわからない子供を孕み、誰にも告げず、中絶の手術を受けたのかもしれません。
「別れてください」と陽子から言われたとき、そんな気がしました。
二週間ほど、私がどんなに欲しがっても、陽子が姿を現さなかった期間があるのです。
私も少しいい人になりたがっていたようです。
あっさりと「わかった」と返事したのです。
陽子が一緒に生活していちばん楽な人は旦那でした。
夫婦仲は良いようでした。
旦那は陽子のほんとうに信頼しているのです。
私としていたプレイなど、実際に目にするまでけっして信じはしないでしょう。
恥ずかしすぎるお仕置き
一ヶ月はなんとか我慢できました。
さよならを言って二ヶ月目に私は陽子に電話をかけてしまいました。
陽子は逢いたい気持ちを耐えて、とうとう私の誘いに頷きませんでした。
私にはなくしたものの大きさを知る毎日が続きました。
私にとって、陽子以上のマゾ女がいるとは考えられなくなっていました。
陽子から久しぶりに電話がありました。
妊娠したという知らせでした。
私はおめでとうと言って、電話を切りました。
もうこれで永遠に陽子と逢えなくなったと思いました。
確かに誓ったのです。
もう二度と陽子には近づくまいと。
私さえ我慢すれば、陽子とその家族は幸福になれるのだと。
二人の思い出を鮮やかなままで残しておこうと決心したはずでした。
でも、私は意志の弱い男でした。
我慢は半年しか持ちませんでした。
陽子に私の気持ちを伝えるのは、「逢いたい」のひとことで十分でした。
「忘れられないんだ。陽子と過ごした一年間をゼロにはできそうもないよ」
私は陽子に甘えました。
陽子も私と同じように、今すぐにでも逢いたいはずなのです。
陽子の気持ちは手にとるようにわかりました。
「僕の声を聞いてるだけで、陽子はびしょびしょになっているんじゃないのかい。僕にはわかるよ、陽子のお☓☓こがどんなに淫らになっているか……」
ルール違反でした。
陽子にさよならを言ったとき、こんな誘い方をしてはいけないと私は誓ったはずなのです。
陽子の声が震えてくるのがわかりました。
私を欲しがっているのです。
お尻の穴を愛されたがっているのです。
また、恥ずかしい命令を下してもらいたくなっているのです。
「陽子も忘れられないだろ……、陽子が普通の愛され方で満足できない女だってのは、僕がいちばんよく知っているよ……。逢いたいんだろ、『直彦さんにお逢いしてまた意地悪されたい』と正直に言いなよ……」
「許して、今は駄目なの……。直彦さんのことを思い出さない日は、一日だってないんです。でも、今は赤ちゃんにとっていちばん大切な時期だから、我慢しなければいけないんです。私から電話します。もう少ししたら流産の心配もなくなりますから……。もう二ヶ月だけ待っていただけませんか……」
結局、分かれることはできなかったのです。
約束通り、陽子から電話がかかってきました。
上ずった声をしていました。
濡れているのがわかる声でした。
私とのプレイを待ちわびているのを隠そうとはしませんでした。
「逢いたいんです。またいじめてもらえますか……」
そう陽子が口にしただけで、二人の関係があっという間に修復されていくのがわかりました。
SとM、御主人様と奴隷に戻ったのです。
私は早速、陽子に命令を与えました。
「新宿駅西口の中央改札口で待っていなさい。そうだな、久しぶりだから、イチジク浣腸を二つ陽子の可愛らしいお尻に注入して待ってなさい。わかったね……」
陽子は素直に「わかりました」と返事しました。
私は下着については、何も言いませんでしたが、もし陽子がパンティーを穿いてくるようなことがあれば、お仕置きをしてやろうと考えていたのです。
妊婦奴隷
陽子は大きなお腹を突き出して私を待っていました。
一年前はほんとうに少女だった陽子が母親になりつつあるのを見ると、時の流れの速さを否応なく思い知らされました。
やはり逢わないほうがいいのかもしれない。
少し迷いました。
しかし私も陽子も欲情していました。
お互いを求めあっていました。
陽子には私しかいないし、私にも陽子しかいないことが四ヶ月あまりの空白で見に染みていたのです。
私を見つけると陽子の顔から微笑がこぼれました。
ほんとうにうれしそうな顔でした。
私も懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
しかし私は陽子の御主人様であり、サディストなのです。
そうそう甘い顔ばかりはしていられないのです。
私は気を引き締めて陽子に囁きました。
「命令は守っているだろうね」
陽子は恥ずかしそうに頷きました。
イチジク浣腸がお腹の中でグルグル鳴り始める頃でした。
私は言われなくともわかっている命令はどうなっているか訊ねました。
陽子は驚きの表情を浮かべました。
私は面白いことになってきたと嬉しくなりました。
いくら空白があったとはいえ、いつもの命令を忘れることは陽子には許されないことでした。
「どうも、陽子は考え違いをしているみたいだね……。いじめてほしいと私に頼んだのは陽子だよ……。それなのにいつもの命令を忘れるなんて……、これは、どういうお仕置きをされても陽子は我慢しなくてはいけないね……」
私は一度も陽子にしたことのないお仕置きを考えていました。
今からでも遅くないから、トイレに入ってパンティーを脱いでくるように命じました。
陽子はすがるような目をして私を見つめました。
でも、もう遅いのです。
陽子はこれまでより、もっと恥ずかしいマゾ女にならなければ許されなくなっていたのです。
私は人影のない階段のところで待っていました。
息を弾ませて戻ってきた陽子のスカートをめくりあげました。
妊婦帯が大きなお腹をしっかりと守っていました。
その下には黒黒とした茂みがあるだけでした。
そっと指で触れてやりました。
粘っこい愛液が糸を引きました。
その愛液を陽子の唇になすりつけました。
唇をすぼめて吸いました。
あどけない顔をしていました。
顔だけ見るとまだ少女のようでした。
妊婦を外で責めてしまうことには不安がありました。
私は新大久保のホテルをめざすことにしました。
抱きかかえるようにして陽子のからだをいじくりまくりました。
懐かしい感触でした。
肌の瑞々しさは変わっていませんでした。
性感は妊娠する前より、もっと深くなっているようでした。
ほんの少し、指が乳首に触れただけなのに切迫した悲鳴をあげるのです。
花びらにも指先を侵入させました。
陽子はそうされると歩けなくなるようでした。
感じすぎてしまうようでした。
家を出る前に注入したイチジク浣腸も出口を探しているようです。
ホテルに入ると、服を全部脱ぐように命令しました。
華奢なからだつきに大きなお腹が目立っていました。
そんな姿を私に見られてしまうのが、陽子はつらくてたまらないようでした。
ベッドに横になり、花びらを広げるように命じました。
「今日は久しぶりですから、お手柔らかにして頂くわけにはいかないでしょうか」
私はそんな陽子の願いを無視しました。
お尻を突き出させると、もう二本イチジク浣腸を注入しました。
私は陽子に強制的に排泄させたことはありませんでした。
浣腸はしても、陽子がウンチするのはトイレでした。
それもドアを閉め切って誰にも覗かれる不安のない状態でさせていました。
これからは違うのだということを思い知らせてやらなければなりません。
洗面器を用意しmした。
「もし出したくなったら、『御主人様、陽子がウンチする恥ずかしい姿をご覧になってください』とお願いしてから、その洗面器に跨るんだよ、わかったね……」
陽子は今にも涙がこぼれてしまいそうな顔になっていました。
一生懸命に大きな瞳でそんな恥ずかしい目にあわせないでくださいと訴えていました。
陽子の一途な愛らしい哀願の表情は私をゾクゾクさせてくれました。
もう一本イチジク浣腸を陽子に御馳走してあげたくなりました。
白く肉付きのよくなったお尻を広げました。
私は遠慮のない視線で覗きましす。
うすべに色の花びらがぬるぬるに開き切っていました。
「見ないでください。もうすこしゆっくりと慣らしてください。そうしないと陽子は刺激が強すぎて指揮状況になってしまいます」
私は陽子を犬の姿に這わせたまま犯しました。
ゆっくりと奥まで挿し入れました。
陽子の腰がガクリガクリと震えました。
突くたびに腰が砕けそうになっていました。
そのままお尻の穴にもハメてやりました。
陽子の唇から淫らな牝犬の悲鳴が洩れました。
最初のひと突きで陽子は耐えられなくなってしまったようでした。
「出ちゃう、出ちゃう……、見ないでください、お願いですから目をつぶっていてください、そうしてくれないと陽子は死んでしましたくなります」
このとき、陽子のお腹の中にいたのが写真の景子です。
陽子は恥ずかしいマゾ女というだけではなく、悲しい母親にもなってしまったのです。
景子と陽子について下記足りないことはまだまだあります。
景子の調教は始まったばかりです。
母親以上のマゾ女にしてやろうと思っています。
*後半は「娘調教」